■ ワークショップ
メタ認知の定義は?
メタ認知を推し量る教育方法は?ポートフォリオだけでなく、ほかにどんな方法があるのか?
たとえば、発表者のいうポートフォリオの定義では、これまでの言われてきている見通しの力、図工美術で言うと、想像力や構成力などもメタ認知に含まれていく。そのため、自分たちの活動を振り返っていくだけがメタ認知の育成ではなく、活動のほかにも、作品(制作する対象物)、それと同時にその対象物をつくることが鏡となって、制作者自身を降り返っていくことができるのもメタ認知の一側面ではないか。
メタ認知をはかる評価方法はポートフォリオが有力な方法と考えるが、その他の方法には何かないのか。
自分が視点を持って学習に当たる。
メタ認知は、新聞づくりだけか?3年生という発達段階から考えれば、新聞づくりはとても有効な方法の1つではあると思うが。
まだメタ認知を意識した学習モデルと同じ地平からしかまだ学校のなかで見ていない。複数の学習モデルを子どもたちの実態や教育の目標に照らし合わせて、選択していくことが必要なのではないのか。
「総合学習における目標、能力観」
教育とは、ひと、もの、こと、考えに意味を持たせること、価値づけをしていくことである。突き詰めていけば真善美につながっていくのでは。
「知の総合化」
名人とは、自称ではなく、他者がエキスパートと認めたことに対する称号。他者が、自分には追いつけない、すごいと思う、感動を覚えるという人。
メタ認知はベクトル。
なぜ、美術系学部の授業形態を取り上げたのか。トピックが表面的すぎる。
教師→子どもでは、本来求められているともに学び授業をともにつくっていくという教育モデルは獲得し得ない。
「ストーリーをつくりやすくする」「人の記憶はストーリーによって形成されている」
「真正文化」学者の求める研究内容って言い切っていいの?国家の認める文化という側面の方が一般国民に対しては大きな意味があのでは。
「つくって、かたって、ふりかえる」
「子どもの持つ文脈は総合学習的な学習モデルでブレイクスルーすることができる」そんなに簡単に言い切ることができるの?現場を知らないで、表面的に外側から覗いただけで、そんな簡単にいえるものなのか。それにそんなもんだったら、今まで子どもたちのもつ(望ましくない)文脈を打ち破っていこうとする実践は今までも数多くおこなわれてきたし、総合学習的な学習モデル自体も、とくに今注目はされているが、以前から存在はしていた。子どもの文脈とはどんなものか、そしてその文脈という大きな流れに飲み込まれている人間をそんなに簡単に救い出すことができるのか、全然吟味されていない。学校文化と研究者の(求めようとしている)真性文化が乖離しているというが、それは学校教育の側だけに問題があるのではなく、真性文化側が学校文化を外部も内部も、そして歴史的な大きな流れの中でどのように流れてきたのかを見つめるなどをしていなかったら、簡単に発言できないのではないのか。もし、発言するのだったら、理論的には・・・などと限定的に指摘すべきで、本当に学校が、子どもたちが変わる・・・などといえないのではないのか。
「新しいモデルは、旧来の学習モデルがうまくいかなくなった時期に、(その問題を解決しようと生まれてくる」・・・それって対処療法的で、同じ水平上の問題解決の視点であって、全然メタ認知的じゃないじゃん!
「ライフロングキンダーガーデン(生涯幼稚園)」誰が言った言葉?・・・「幼稚園は楽しくて、小学校以上はつまらない」???小学校以上は、カリキュラムが子ども主体で構成されているのではく、構造化、細分化、系統化といった科学的思考に基づいて、目的・方法が別であり、その議論、指摘がない。
メタ認知、意識化すること。
■ 基調講演・・・途中から(^^ゞ
発展途上の国は、均一な教育の質を求める。・・・だれがおこなっても一定のレベルを求められる
授業とは、たとえ同じにしようとしても、授業者や子どもたちの個性が出てきてしまうクリエイティブなもの。
■ 実践発表
国際交流 「first, next, next,... last,」
「ネットの向こうに人がいる。」
来年度、もっと情報教育について力を入れていかなくちゃ。今ならできる。今だからできる。ホームページデザイン。インターフェイス。コミュニケーション。ユーザビリティ。アクセシビリティ。
コンテンツの作成。授業実践例。校内文書のデジタル化、集積。
先生方への校内講習会。ワード、エクセル(エクセルで実践事例を書く教師が入力し、マクロボタンを押すと、htmlの書き&吐き出しをおこない、保存画面が出てくる)。
「英語をうまく話すには、顎が動かさなくてはいけない。」
「アクセスに10秒以内。」
「PC普及がしてくると、先生方は自作の教材をつくらなくなった」
「英語は、非常に汎用性がある」
「各母国語がしゃべれて、そして英語がしゃべれる」
デジタルカメラ等を使った、デジタルポートフォリオの作成。
やっぱり、発表現行の様式は、題名、所属・氏名、概要、[キーワード](この行は、ボールドで)、本文・・・にしていかなくちゃ。
「マークを張り付けるのも、アイディアですね。」情報教育の基礎
「情報機器を使っての情報教育と情報機器を使わない情報教育」!
デジタルコンテンツと情報手段を活用した”わかる授業”
DV/デジカメの動画撮影機能を使ったex体育の授業。
「評価がどうして進まないのか。内容目標が気がかりで、知識技能がすり替わる」
横断的主体的な子どもの学びを支える教師支援と評価のあり方・・・相談、気づき、つぶやき、発言、活動、作品、記述・・・をどう教師が子どもたちの活動を読みとることができるか。
授業改善のための(リアルタイムにおこなう)評価方の改善。
伝えあう・・・伝え方、どのように伝わるのか、
「手が掛からなかった児童はB。手の必要なCの子どもたちを中心に指導。」
「感謝の気持ちをどのように伝えるのか。聞いたことをまとめる。」
「内容、方法に重点がすり替わってしまい、ねらい、評価を明確に持つカリキュラムづくりが必要。」
「機械でできることは機械で。マンパワーをできるだけクリエイティブな領域に振り分けるべき。」
ZPD:発達の最近接領域、ピピッと。
情報教育の全体計画作成。
コンピュータ室の配当表作成。
■ 講演
「学びのすすめ」文科省の読み取り。
「事例集から手だてをくみ取るのは難しい」
「本物の学習は、本物の評価を受ける。」
「総合学習が充実すると、学校図書が充実する。」
「校内プレゼン大会、毎学期1回自分たちの学びを発表する。LANに保存しておき、後ででも見ることができる。」
「メールの下書き用紙」
ポスターをつくろう。・・・情報教育の実践。誰に伝えるか、何を伝えるか、どのように伝えるのか・・・では、どのような伝え方があるのか。
「行きつ戻りつの体験ができるというのが総合学習ではないのか。」
「日常化していって初めて力が付く。」
・学校間格差がいっそう激しくなった
・目標の整理、学校の取り組みの独自性の明確化
・評価の視点と方法の確立・・・学校間格差の拡大
・小学校における英語活動の重視
・小中連携への意識の台頭
「教科学習でないと総合学習・・・なの?」
「学習指導要領の総則の前文に意義が書いてある」
「総合学習は、カリキュラム開発、教師の新しい力量」
「総合学習・・・別に生きる力は総合がないときだってやっていたでしょ。」
「総合学習は、何でもつながる、でも一定の基準を」
「カリキュラムという全体像の構築ができる。」
「子どもたちの数年先の長い見通しを持ったカリキュラムの作成を・・・学校単位でのカリキュラム作成、意志決定を」
「6年間を見通した子どもの学びの育成・・・学校として残していくカリキュラム。小中をまたいでつくっていくカリキュラム。ほかの教師に任せていくカリキュラム。教師が今年の子どもの学びを振り返って、それを次の担任へ引き継いでいくことが重要になってくる。」
「協同的意志決定・・・方法、手順のみでなく、目的、内容までもおこなっていく必要性。」
「総合で教科の学力も向上する。」
子どものまなざしに着目した学習の展開、学習方法の開発。
「文科省の優等生。」
ニーズに応える・・・文部省の?親の?etc・・・近視眼的なニーズであっても何でも飲み込まなくてはいけないのではない。だからこそ、教師が自らが今この位置にいて、どの方向性に、どのような方策で進もうとするのかという座標軸、それは単なる相対的なものではなく、絶対的なものを追い求め、常に吟味していかなくてはいけない。
「コンセプトが連綿と継承されていく・・・人が変われば変わるカリキュラムでは、本当の価値を見いだすことができないのではないのか。」ある意味ティーチャープルーフなカリキュラム作成の必要性なのかな?
・・・これは、その時々の教師の専門性や力量、持ち味をうまく生かしていく、そんなカリキュラム、学校づくりを考えていく必要がある。それと同時に、このことは、教師の力量の育成、いいかえれば教師が求められるといことが当然、より重要視されていく・・・ということである。視点があれば・・・。
総合学習の充実・・・教師の力量の充実
「コメントをいただく。」
「古典的学力は旧来の指導法で十分指導できる。新しい学力は、新しい指導法を開発していかなくてはいけない。」
「総合学習の実践、今年は教科の香りが結構するようになってきた。」
「教科における情報活用は、一般的すぎるのではないのか。」
「社会科らしい表現の工夫とは?」・・・これは、ほかの教科でも洗い出していく必要があるね。・・・だったら図画工作科における表現は?
「みなさんにバトンを渡した。」
